2013年11月19日火曜日

集団における正しさ

育ってきた環境がちがうから : maukitiの日記 

まじめにやるのがかっこ悪いとされる流れにまきこまれるんですよね、必ず。小5から中2あたりで。


名付けに関して、の覚え書き。
  
字面のかっこよさ・読めなさがステータスとなる集団。
安定の古臭い名前がステータスとなる集団。
親がどっちの集団にいるかで、どちらも正解となる。
自身の成功体験の積み重ねからくる、子供を思っての行動、ではあるわけで。

肌感覚としての実感が判断基準となり、常識となり、正しさとなる。
違う集団のことを、感覚として理解できなくなる。

ツイッター騒動は、その辺かなと。

なんのことはない、ダイバーシティはこの国にもあるよと、そんなおはなし。

英語圏では使っている単語、言い回しで階層を区別するとのことです。
この国ではそもそもの名で区別できるようになってきてますが、本人関係ないじゃんですね。
あれか、成人で改名しますか、伝統的に。